2011年01月24日

電子書籍化がもたらす情報社会の変容


・はじめに

最近、「電子書籍」という言葉をよく耳にします。本と言えば紙のページに表紙の装丁、というのが私たちの「本」のイメージとして最も一般的なもので、「電子書籍」というとなんだかまるで昔の人間が考えた21世紀像のような奇妙な感覚さえしますが、これから世界は電子化をめぐる大きな動きの中に足を踏み入れようとしているのです。本が電子化される世界というのは、もう既に現在進行形で普及しつつある世界です。アマゾンのキンドルに続き、アップル社からiPadが発売され、このiPadフィーバーとも言える人気で、これまで腰の重かった出版業界も、今年は、電子書籍の元年だと、電子書籍をめぐっての動きが急になってきました。国内の主な出版社31社でつくる日本電子書籍出版社協会も、この秋から、電子書籍約1万点を、iPadで販売するそうです。

それは、本の世界の何を変えるのでしょうか?「電子書籍」にまだまだ馴染みのない私たちには到底想像しえない世界かもしれません。今まで私たちが書店に赴き、手に取り装丁を眺めながら選んでいたこと、ページを一枚ずつめくり、しおりを挟んでいたこと、読み終われば本棚にしまい、古本屋に売却していたこと、その全てが180度変わってしまうことはまさに「革命」とも言うべき一大事なのですから。それは、私たちの「本を読む」「本を買う」「本を書く」という行為に、どのような影響をもたらし、どのような新しい世界を作り出すのでしょうか?ここでは、書籍が電子化されるこれからにおいて、メディアとしての役割に変化があるというのなら今までの紙の書籍・新聞・雑誌はどうなってしまうのかを考察していきます。

 

まず、これだけ世間を賑わせ圧倒的な人気を誇る電子書籍のメリットとはいったいなんなのでしょう。電子書籍はこれまでの紙と印刷による書籍を流通させるしくみが、インターネットに変わります。そうなると、多くの資料や関連書籍に従来よりも簡単にアクセスできるため、より広い知識を得ながら、これまでとは違う情報の獲得が容易になるということがあります。 対応する電子書籍端末さえ持っていれば、自分の書斎も、わざわざ書店に行って取り寄せる必要もありませんし、図書館のように期限がないのでいつでもどこでも読むことができます。情報伝達手段がデジタル化しても情報そのものはなくてはならないものです。実際の本では分厚くて重い書籍・雑誌を持ち歩く必要がありませんし、データとして書籍、雑誌、新聞の過去情報を保存しておけるのでかさばりません。書籍も雑誌も新聞も、データで買えば紙で買うよりも半値以下になるのです。便利になり、価格が下がれば書籍流通量は増えるので現代社会ではよりいっそう電子書籍普及の波が急速になっているのです。書籍は、読みたいときにすぐに安く手に入り、あとは便利に読めればいいということになってきます。消費者として受け手のメリットでは、こういった省スペース・省プロセス・省コストといった魅力が現代人の注目を集めているのです。受け手の代償はマイナスに、得るものは更に膨大にというとてもシンプルな経済の動きに則っています。

そして実は、受け手だけではなく、電子書籍は、供給側、つまり作家や出版社にもメリットが大きいのです。消費者のニーズに応えてというよりは供給側の都合によって電子端末市場にぞくぞくと参入しているのです。それはいったいどのようなメリットでしょうか。

それは、書籍を出版するにあたってかかるリスクが大きく減少することです。よって少ない資本でも書籍を出版することが誰にでも可能になり、出版が身近になります。電子出版は、それまでの紙の書籍出版と比較して、圧倒的にコスト優位になります。出版する人が増えることで、今までとは比べ物にならないぐらいの豊富なジャンルの書籍コンテンツが充実することが考えられます。それはこれまでの紙と印刷の書籍では、出版できなかったコンテンツが種類も幅も広がり、流通し、需要を掘り起こします。それに新聞や雑誌も加わってきます。出版社としては絶好のビジネスチャンスです。

 

ここまで需要と供給のメリットを挙げましたが、では、これだけ期待されている次世代コンテンツの問題点とは一体どのようなものがあるのでしょうか?

これは、インターネットが普及することで危惧されていたものと少し似ていますが、誰にでも出版が可能になり、ネットワーク上の膨大なデータからいつでも情報を引き出せるような環境が整うと同時に、そのあまりにも多すぎる情報量に対してそれぞれの価値が低下してしまう恐れがあるのです。電子化の社会では自分が必要とする情報を簡単に集められるメリットがあります。いわば自分だけの「新聞」や「雑誌」を構築することができるのですが、そういった「新聞」には既存のそれが果たしていた共通性、スタンダードの機能がありません。新聞に期待されていた機能はその情報の正確性や速報性だけではなく、むしろもっとも求められていたのは「新聞の一面」といった言葉に代表される「コミュニティ」への話題提供能力だったのではないでしょうか。かつて新聞が「かわら版」と呼ばれていたその時代からです、発信側ありきの構造だった時代では、読者側も「情報のスタンダード」に信頼を置き、コミュニケーションと密接な関係として新聞を受け入れていました。つまり、新聞から受け取った情報がオフラインでコミュニティを形成する、というのが本来読者に期待されていた機能のはずなのです。

ネットの発達した現在では、ニュースの価値はどこでこの情報が得られるか、という部分的な価値でしかないように感じられます。そしてそういったメディアはユーザーの求める情報が揃っていないとすれば、とても価値の低いものと見なされ現代の過熱した電子社会で生き残ることはできないでしょう。

また、電子書籍には技術的な問題も数多く課題として残されており、海賊版の存在も危惧されるなか著作権の保護が問題点の大部分を占めているようです。このための複製の防止方法が、技術的な争点になっています。現状のままでは、将来性と発展性を阻害している部分がありそうですが、なにより省スペース省資源に非常に有効な手段のひとつとして電子書籍全体は今後増えていくと思います。あまり売れない専門書でも、低価格で製作・販売できるという利点があることも、社会にとっては生産性を向上させる都合の良いものですが、逆にこういった目先だけの利便性が電子書籍化の問題を解消されないままに広く普及させてしまうことが考えられ、今後電子化の弊害や反対意見が増えることも予想されます。

 

電子書籍化には爆発的な流通力がありますが、それだけでは既存のメディアコンテンツにとって代わる上で様々な問題点があるようです。それでは、ニュースを伝える媒介の代表である「新聞」の在り方は今後どのような変化を見せるのでしょうか?

出版のビジネスだけでなく、やがて人びとの文化そのものをも大きく変えてしまうだろことは想像に難くありません。情報化、スピード化が進みそれまでの業界秩序や業界常識は壊れていきます。書籍の消費構造に大きな変化が起こったということは、実は書籍の電子化が必然だという大きな時代の変化が前提にあります。

新聞は雑誌などと同じように「紙」であることによってある一定の情報量より多くは一度に伝達できないという決定的な致命点があります。専門誌などはありますが、それでも限られたスペースの中で様々なユーザーのニーズに応えるコンテンツづくりをしなくてはならないので、ある特定の事柄に興味のあるユーザーにとっては、コンテンツの情報量が物足りなくなる事態が常に起きています。これに応えるためには紙数を増やし、コストも今より増えることになるので、メディアとしての役割や顧客の満足度はいっこうに改善されません。しかしそれが電子新聞であればそのユーザーにとって必要な情報とそうでない情報を区分することができ、必要な情報は、インターネットと連動することでそれだけを検索して重要な部分のみを集めることが可能なのです。文字としての絶対的な量が増大し関連の情報も自由に閲覧することが出来ます。さらにインターネットの省プロセス性を利用するならば、今まで新聞から読者に情報が伝達される「一方通行のコミュニケーション」だったものが読者から新聞社に伝達される「双方向のコミュニケーション」へと発展することで更なるコンテンツ充実を図ることも可能です。

これらは具体的なメディアの変化ですが、既存のメディアがインターネットを取り込み、電子化と融合することで、その本質に影響する大きな変化があります。それまで中立性を重んじるあまりに、「主張」のないものに陥る危険性のあった「ジャーナリズム」や「情報発信源」に様々な方向性や視点を与え、多くの異なった主張を並列的に紹介する等、多様な言論や発想を打ち立てていくことが可能になると思います。 つまり、これまでのメディアでは同じ基準のコンテンツだけが伝えられることによって、人々の多くは、情報を相対的に見る機会を与えられず、既存のメディアの権威化に有効でしたが、これからは、個人は、個人で判断するための知恵を少しずつ身につけていかざるを得ない時代になっていくことも影響しているからです。

 

・おわりに

ここまで、電子書籍市場の展開を考察しましたが、果たして本当に電子書籍が紙の書籍にとってかわってしまうのでしょうか?あらゆる分野での情報量が増えると同時に、書籍の時代遅れも早まっているのが現状です。価格や利便性ではこれまでの書籍は、電子書籍にはかないません。電子書籍が普及することによって今まで実現できなかった様々な「便利」が手に入ることを紹介してきましたが、ただ、実際の本でこそ味わえる質感や、大判の写真集や地図に触れる楽しさは失われてしまいます。極端にいえば、紙と印刷の書籍が生き残る分野は、所有と手触りのある書籍だけでしょう。読書の好きな人の中には、紙やインクの匂い、表紙の手触り、ページをめくっていくなかで得られる作品の世界との一体感に価値があるので、電子書籍には、そういった価値がなく、受付けられないという人も多いのですが、電子書籍も、現状ではまだ紙の書籍の文化を引きずっていて、ページをめくる動きを再現していたり、縦書きの形式で出版されています。また、こういった電子化の動きに反対意見が多く存在することも事実です。本の手触り感を大切に思っている人からは、本から形を奪ってしまうことが非情な行いに映るかもしれません。

しかし、15世紀に活版印刷を発明されたときも、実は現在の電子書籍と同様に批判を浴びました。その活版印刷の普及が宗教革命やルネサンスを引き起こした事実があるのですから、電子化が急速に進むこの21世紀に、新たな技術革新の波が再度来ているに過ぎないのかもしれません。電子書籍の場合、実は手触り感への不満の中には、新しい電子端末に覚える違和感や、電子書籍化されている書籍の内容そのものへの不満も含まれていると思います。紙と電子は併存する方法はあると思いますが、この “紙から電子へ”転換することの衝撃が大きいだけで、電子媒体を批判するのはもしかするととても愚かなことかもしれません。

そして、このような社会の動きがあっても決してすべての書籍がデジタルだけになるとは思えません。紙の書籍と電子書籍が併存していきます。しかし紙の書籍の市場は確実に侵食され、市場が縮小し、激しい競争が起こってきます。問題は、その変化をうまく利用できるかできないかでしょう。

  

・参考文献

「電子書籍の衝撃」 佐々木 俊尚 ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/4/15)

「電子書籍の時代は本当に来るのか」 歌田 明弘 筑摩書房  (2010/10/7)

「電子書籍で生き残る技術−紙との差、規格の差を乗り越える−」川崎 堅二・土岐 義恵 オーム社 (2010/12/1)

「電子書籍と出版─デジタル/ネットワーク化するメディア」

高島 利行・仲俣 暁生・橋本 大也 ・山路 達也・植村 八潮・星野 渉・深沢 英次・沢辺 均 ポット出版 (2010/7/10)
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2011年01月18日

日本人が捉えるジャズ像とは


日本人にとってジャズはどこまで音楽なのか?
ジャズという文化が日本に持ち込まれた当初、戦後の切羽詰まった状況の中で必死にアメリカ文化にくらいついて生き延びていくしかなかった人々にとって、ジャズはただの手段だったかもしれない。日本の文化からして、ジャズのあの定まらない調子と捉えどころのないメロディーラインはどう映ったのだろう。
私は日本の音楽にはあまり詳しくないのでジャズとの間にマニアックな共通点や音楽性の通ずるものがあるかどうかはにわかには判断できないが、おそらく当時の日本人の耳には奇妙で異質なものであったということだけは想像に難くない。今でこそジャズがジャズとして認められていなかったら、あの自由気ままで情熱的な音楽を社会が容認できるのだろうか。ジャズ好きを公言していない、普通の日本人であればジャズは雰囲気のための手段や道具でしかなく、いわば映画の一場面で使用される劇伴のような存在であるのではないだろうか。聞けば、街の中や洒落た雰囲気の店で耳にするジャズの音源は有線放送に頼っている場合が多いそうだ。ある程度のナンバーを形良くまとめてあるので、詳しくなければそれで満足するということらしい。
私が子供のころは父親の部屋から聞こえてくるウッドベースの地に響くような低い音や、不気味に唸るテナーサックスを「音楽」として認められず、ジャズに対する感想は「なんだかよくわからなくて怖くて怪しいもの」としか受取れなかった。いや、「リズムがこうだから、メロディがこうだから」以前の問題として、極東の民族がはるか離れた地で生まれたアフリカ系民族の魂の文化を理解しようとしたこと自体が私には奇跡に思えてしかたがない。
黒人差別共にジャズが発展していったように、それが戦争直後の日本人にとって人々の抑圧された魂の叫びを爆発させるように解放するためのソウルミュージックという装置としての役割を果たしたことは事実だが、それはきっかけでしかなかったのではないだろうか?ジャズに魅せられた日本人はなにをそこに見出したのか?

私は趣味でオーケストラでヴァイオリンを弾いている。クラシックというのはすべて楽譜の指示に忠実に従う、いわば軍隊のようなもので、ヴァイオリンを弾く私はまず楽譜という上官の命令に従い、次にパートリーダー、コンサートマスター、指揮者、と、いくつもの司令塔の指示を事細かに守らなければならない。チームワークと協調性を何よりも重んじるのだ。そこでその環を乱すようなものがいればただちに粛清される。特にソロでのキャリアを長く積んでからオーケストラにやってきた演奏者は嫌われることが多い。独自の表現力を追い求め目立つことを最優先に置いてきた彼らがいきなり真逆の音楽を奏でること自体が無理な話なのだ。私も、そういった理由からオーケストラを離れて行った演奏者たちを何人も見送ってきた。指示に従って演奏することやシンフォニーに代表される調和の美しさなどには意味があると思うが、クラシックのこの性格は正直を言うとあまり好きになれない。
オーケストラの団員で楽器屋を経営している方に、「斎藤ネコ」というジャズバイオリニストのライブのお誘いを頂いたことがある。どちらかというとジャズを「道具」として受け取っている私にはジャズバイオリンというものがどういうものかわからなかった。気になったので聞いてみると、なるほど、アドリブはもちろん自由すぎる変調、酔っぱらったシンコペ−ション、果ては音程さえも怪しい(一応許容範囲の故意なのだろう)。しかし最初は違和感があったものの、管のジャズに比べて聞きなれた音であることやメロディアスであることもあって、初めて耳にするそれはだんだんと心地が良くなってきた。
後日、人生の先輩であり音楽人としても先輩である団員の方々にお話しを聞くうちにいろいろなことが見えてきた。
まず、現在活躍するジャズバイオリニストの多くがかつてはクラシックに傾倒し、物心つく前からがんじがらめのメソッドに則って技術を磨いてきた経歴があるということを聞いた。クラシックの秩序を極めてきたその人がある日突然何かのきっかけですべてを投げうち、ジャズの世界に飛び出してからは目覚ましい活躍を遂げるのだとか。つまり、抑圧と解放の爆発力である。
それと、ジャズバイオリンの世界では演奏する上で楽譜が用意されていないことのほうが多いそうだ。それは、私のようなクラシックの規律性に辟易している演奏者たちにとってなんて衝撃的で魅力的なことだろう。例えば、学校に行く義務が無くなったり働く必要がなくなったり、普通、今まで生きてきた社会のルールを突然奪われたら何もできずただ途方に暮れてしまうものだと思う。にもかかわらず、彼らは今まで心の奥に押し込めていた音楽に対する情熱と溢れんばかりの感性を、ジャズという最高の形で爆発的に表現している。少し言葉が乱暴になってしまうが、それはめちゃくちゃカッコイイことなのだ。
そうか、こういうことだったのか、と私の中で合点がいった。確かに、ジャズ人口が増え、文化が浸透するにはただの手段・きっかけだったかもしれない。だが、ジャズが人間を突き動かす原動力として働き、またジャズによって魅了された人々が追い求めるものは、美しい魂の叫びだ。表現することの意味をこれほど実感する音楽はジャズの隣に並ぶものはないだろう。ただ、それが生きることの喜びを表現するものならば、ジャズであろうと歓喜の歌であろうと同じなのである。日本人にとって異様な音楽であったジャズでも、保守的な戦争を経験し自己犠牲の精神を貫いてきた彼らにとってはパンドラの箱であったのかもしれない。そしてもちろん、箱の中は刺激的な最高の贈り物が入っていたのである。
posted by アオノリ at 10:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月12日

生まれ変わったら結婚しよう

_huro_ / HALCA.
ナチュラル系ファッションの価格帯は全然ナチュラルじゃない! at 01/08 18:33
 
_huro_ / HALCA.
もう家じゅう、いや日本列島全体が足湯になってたらいいよね at 01/08 15:21
 
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ひねくれて面倒臭いこの性格を治さなければと思いつつも 口からでまかせに「いいんじゃない」という人の存在に甘えてしまい いまだ精進できない身の上です at 01/06 02:05
 
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あら、現行PSPのスペック→64MB, 1200mAh 3DSのスペック→96MB.1300mAh ですって!スクエニといいソニーといい神話崩壊の予感 at 01/05 18:46
 
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言わずもがな 日本人ってロリコンだから 制服とかマジ好きなわけで それだけでもう色んなことが3割増になる現象を有効に使っていこうぜ at 01/04 00:38
 
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ぱいおつデカいと垂れるってマジだったんですね \微乳大勝利/ at 01/03 04:37
 
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飲んで帰るとだいたい覚えのない青あざができているホラー at 12/30 23:19
 
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全身から湧き立つ阿婆擦れビッチ臭が消えますように at 12/30 18:12
 
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変態にありがとう 変態にさようなら 変態におめでとう at 12/29 02:44
 
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人が嫌がることをするのが大好きすぎて困る at 12/28 15:10
 
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母親がケーキ切る時に「意外とやわらかいセヨ」とか言い出してどうしようかと思った at 12/23 00:23
 
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そこらへん・なかまうち・サービス 略してSNSとはよくいったものです at 12/18 23:51
 
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「父」という字が「ちち」と読むことに対して 未だにドン引きします at 12/16 19:50
 
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2010年11月09日

【没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった】


【没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった】
国立新美術館(六本木)

展覧会の趣旨:

ゴッホの作品はこれまで日本でも数多くの文献や展覧会を通じて、幾度となく総会されてきた。しかしゴッホがいかにしてそれを作り上げるに至ったかについては、これまで十分に紹介されてきたとはいえない。
「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」は代表作に加え、ゴッホに影響を与えた画家たちの作品や自身が収集した浮世絵などを展示し、「ゴッホがいかにしてゴッホになったか」を明らかにする。
キャッチコピーは「ぼくは100年後の人々にも、生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい」というゴッホの書簡からの言葉。

展覧会全体の印象:
展覧会の構成として
T.伝統―ファン・ゴッホに対する最初期の影響
U.若き芸術家の誕生
V.色彩理論と人体の研究―ニューネン
W.パリのモダニズム
X.真のモダン・アーティストの誕生―アルル
Y.さらなる探求と様式の展開―
  サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
にそれぞれ区分して展示されている

ゴッホや影響を与えた画家の絵画と対比させるだけでなく、ゴッホが対象の比率や遠近法を調整するために用いたパースペクティブ・フレーム(遠近法の枠)などのこうした実際に絵画制作にあたり用いたあまり知られていないものも展示紹介、「アルルの寝室」を再現したジオラマ、「黄色い家」の立体図CG上映、ゴッホの生涯を解説した映像「こうして私はゴッホになった」を上映しており、絵画の展覧会などにあまりなじみのない人でも楽しめるように企画されている。
ゴッホ展のポスターにも使われている「灰色のフェルト帽の自画像」は他の作品とは別に特別に広いスペースをつかって展示されており、館内が混んでいる場合鑑賞は困難。
また、作品保護のため館内温度を低く設定してある。

作品名:「アルルの寝室」
1888年10月 アルル
油彩・キャンバス
ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団所蔵)

フランス・アルルでゴッホが暮らした「黄色い家」の2階の部屋を描いたもの。「アルルの寝室」には三点の絵が制作されており、今回このゴッホ展に出品されているものがオリジナルで、他の二点(最初の複製はサン=レミで制作し、二番目の複製はオランダの母や妹さちに送るために制作)はのちにこれを模写したもの。
オリジナルと二点の複製の大きな違いは、壁に掛けられている作品と画面のサイズか縮小されていること。また、壁にかかっている上段の二点の肖像画は、右が「ウジューヌ・ボックの肖像」(オルセー美術館所蔵)左が「ミリエの肖像」(クレラー=ミュラー美術館所蔵)であることが見て取れる。

ゴッホは生涯を通して幸福だった人間ではなかったかもしれませんが、ゴーギャンに心酔してからは精神を病んでピストル自殺を図るという最後は悲劇的です。
しかし、悲劇的な人生に対して彼の描く花の絵やこの寝室の絵は暖かくのどかで、しかも明るい風情があって苦しみとはまるで無縁のところにいるように感じられるような優しさがあります。
激しい「筆致」と鮮やかな「色彩」をつかいながらも、印象派の画家たちのように外の自然を写したのではなく、彼自身の心にある穏やかな世界を表現したものに感じられます。
ゴッホがゴーギャン宛ての手紙の中で
「スーラ風の単純さで描くのは途方もなく面白かった。平坦な色調だが、粗い筆をつかって思い切り厚塗りにしている。壁は淡いライラック色、床はむらのあるあせた赤、椅子とベッドはクローム・イエロー、枕とシーツはとても淡い黄緑、ベットカバーは血のような赤、洗面台はオレンジ、洗面器は青、そして窓枠は緑だ。これらのまるで違った色調全部をつかって、完全な休息を僕は表現したかったのだ。」
と書いているように、ゴッホはたくさんの色を意図的に配置して描いており、一見バラバラに見える色調も遠近感を際立たせるために計算されて組み込まれている緻密な絵であることがわかります。
一番に目を引く鮮烈な赤いベットカバーよりも窓の奥の優しいエメラルドグリーンが全体の印象を引きしめており、壁のブルーが鮮やかで、部屋のあちこちに配置された濃い色とバランスをとるように全体的に柔らかい色調でまとめられているとても穏やかな絵。
ゴッホが願ってやまなかった、画家の共同体である「黄色い家」への愛がこの小さな空間いっぱいにあふれていて、日本の浮世絵の影響を受けたとみられるこの力強い構図が寝室をどっしりと安定させているよう。
彼の短い生涯の中で、この六畳ほどの狭い空間が理想郷への第一歩であったことを考えると、希望に満ち溢れた作品だったことがうかがい知れます。

美術館設立の経緯や特徴:

文化庁国立新美術館設立準備室と独立行政法人国立美術館が主体となって東京大学生産技術研究所跡地に建設された美術館で、2007年1月21日開館。
国立の美術館としては国立国際美術館(1977年開館)以来となる30年ぶり、5館目にあたる。
延床面積は日本最大で、これまで最大とされていた大塚国際美術館の約1.5倍に及ぶ。
かの有名な黒川紀章氏によって設計がなされる。また、館内にはフリッツ・ハンセン寄贈の椅子が使用されている。
緑の豊かな環境を目指し近代的なデザインの建築で、館内は広く天井が高い吹きぬけになっており、全面がガラス張りであることで館内の明るさや解放感を実現している。
また、館内にミュージアムショップ・レストラン・カフェを展開しており、いつもたくさんの客で賑わっていながらも落ち着いた空間になっている。
前庭には歴史的建造物で二・二六事件ゆかりの旧歩兵第三連隊兵舎が一部分保存されている。
第二次世界大戦後は東京大学生産技術研究所等として使われていた。
研究所が駒場に移転し、取壊し予定であったが、保存要望の声に配慮し、一部分を残したものである。


グッズ売り場:

館内のゴッホ展ミュージアムショップでは定番のポストカードや画集から「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」展覧会限定のマカロンラスク(瓶入りで1365円)
をはじめアルコール飲料やTシャツなど様々な商品を展開しており、一番目を引いたのはゴッホのジグソーパズルやミニ額縁が入ったガチャポンが設置されていました。

posted by アオノリ at 00:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

尖閣問題をめぐる大義と扇動


 尖閣諸島巡視船衝突問題をめぐって、不信感や管理体制の問題意識が高まりこれほど事が重大化しているなか、メディアを通して私たちが受け取っている尖閣問題の何が問題かは、私たちが思っているようなものではないと感じる。要するに、尖閣諸島について私たちが論争するにはあまりにも急すぎる。夕方ワイドショーの街頭インタビューで尖閣問題について厚顔で語る通行人は、一体尖閣問題以前に何を論じるのか。いわゆる尖閣ビギナーである日本国民でありながら、ネットやニュースでもジャーナリズムの如何が問われる中であっても、中国の反日感情イメージを刷り込まれることによってこんなにも簡単に尖閣戦意の高揚を操られてしまう報道の恐ろしさとははなはだしいものがある。
 中国でももちろん厳しい情報の統制が尖閣問題にはつきまとうのだが、先日の尖閣ビデオ流出の件については中国側に対して「独善的思想」や「日本政府の陰謀としている」など苛烈な言葉が並ぶ中、中国側は「映像は日本の俳優が演じているに違いない」と私たちの予想の上を遥か飛び越えたナショナリズムを強烈に主張してくるのである。あの映像を見て俳優が演じている可能性がある、という発想はむしろ中国側の漁船の船長を俳優が演じているという前提がある可能性を疑ってしまうぐらいだが、程度は違えど実際の尖閣問題をめぐる動きとは全く違うベクトルで両国の国民が扇動されていることを私たちは自覚する必要がある。ネットを介して映像を流出させた関係者を賞賛する声が増えることでますます国民にとってこの尖閣問題はドラマティックなエンターテイメントの側面を持つことになり、それこそこの大騒動は報道の暴走によるメディアを介した巨大な陰謀になってしまうのではないだろうか。  


posted by アオノリ at 00:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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