2011年01月18日

日本人が捉えるジャズ像とは


日本人にとってジャズはどこまで音楽なのか?
ジャズという文化が日本に持ち込まれた当初、戦後の切羽詰まった状況の中で必死にアメリカ文化にくらいついて生き延びていくしかなかった人々にとって、ジャズはただの手段だったかもしれない。日本の文化からして、ジャズのあの定まらない調子と捉えどころのないメロディーラインはどう映ったのだろう。
私は日本の音楽にはあまり詳しくないのでジャズとの間にマニアックな共通点や音楽性の通ずるものがあるかどうかはにわかには判断できないが、おそらく当時の日本人の耳には奇妙で異質なものであったということだけは想像に難くない。今でこそジャズがジャズとして認められていなかったら、あの自由気ままで情熱的な音楽を社会が容認できるのだろうか。ジャズ好きを公言していない、普通の日本人であればジャズは雰囲気のための手段や道具でしかなく、いわば映画の一場面で使用される劇伴のような存在であるのではないだろうか。聞けば、街の中や洒落た雰囲気の店で耳にするジャズの音源は有線放送に頼っている場合が多いそうだ。ある程度のナンバーを形良くまとめてあるので、詳しくなければそれで満足するということらしい。
私が子供のころは父親の部屋から聞こえてくるウッドベースの地に響くような低い音や、不気味に唸るテナーサックスを「音楽」として認められず、ジャズに対する感想は「なんだかよくわからなくて怖くて怪しいもの」としか受取れなかった。いや、「リズムがこうだから、メロディがこうだから」以前の問題として、極東の民族がはるか離れた地で生まれたアフリカ系民族の魂の文化を理解しようとしたこと自体が私には奇跡に思えてしかたがない。
黒人差別共にジャズが発展していったように、それが戦争直後の日本人にとって人々の抑圧された魂の叫びを爆発させるように解放するためのソウルミュージックという装置としての役割を果たしたことは事実だが、それはきっかけでしかなかったのではないだろうか?ジャズに魅せられた日本人はなにをそこに見出したのか?

私は趣味でオーケストラでヴァイオリンを弾いている。クラシックというのはすべて楽譜の指示に忠実に従う、いわば軍隊のようなもので、ヴァイオリンを弾く私はまず楽譜という上官の命令に従い、次にパートリーダー、コンサートマスター、指揮者、と、いくつもの司令塔の指示を事細かに守らなければならない。チームワークと協調性を何よりも重んじるのだ。そこでその環を乱すようなものがいればただちに粛清される。特にソロでのキャリアを長く積んでからオーケストラにやってきた演奏者は嫌われることが多い。独自の表現力を追い求め目立つことを最優先に置いてきた彼らがいきなり真逆の音楽を奏でること自体が無理な話なのだ。私も、そういった理由からオーケストラを離れて行った演奏者たちを何人も見送ってきた。指示に従って演奏することやシンフォニーに代表される調和の美しさなどには意味があると思うが、クラシックのこの性格は正直を言うとあまり好きになれない。
オーケストラの団員で楽器屋を経営している方に、「斎藤ネコ」というジャズバイオリニストのライブのお誘いを頂いたことがある。どちらかというとジャズを「道具」として受け取っている私にはジャズバイオリンというものがどういうものかわからなかった。気になったので聞いてみると、なるほど、アドリブはもちろん自由すぎる変調、酔っぱらったシンコペ−ション、果ては音程さえも怪しい(一応許容範囲の故意なのだろう)。しかし最初は違和感があったものの、管のジャズに比べて聞きなれた音であることやメロディアスであることもあって、初めて耳にするそれはだんだんと心地が良くなってきた。
後日、人生の先輩であり音楽人としても先輩である団員の方々にお話しを聞くうちにいろいろなことが見えてきた。
まず、現在活躍するジャズバイオリニストの多くがかつてはクラシックに傾倒し、物心つく前からがんじがらめのメソッドに則って技術を磨いてきた経歴があるということを聞いた。クラシックの秩序を極めてきたその人がある日突然何かのきっかけですべてを投げうち、ジャズの世界に飛び出してからは目覚ましい活躍を遂げるのだとか。つまり、抑圧と解放の爆発力である。
それと、ジャズバイオリンの世界では演奏する上で楽譜が用意されていないことのほうが多いそうだ。それは、私のようなクラシックの規律性に辟易している演奏者たちにとってなんて衝撃的で魅力的なことだろう。例えば、学校に行く義務が無くなったり働く必要がなくなったり、普通、今まで生きてきた社会のルールを突然奪われたら何もできずただ途方に暮れてしまうものだと思う。にもかかわらず、彼らは今まで心の奥に押し込めていた音楽に対する情熱と溢れんばかりの感性を、ジャズという最高の形で爆発的に表現している。少し言葉が乱暴になってしまうが、それはめちゃくちゃカッコイイことなのだ。
そうか、こういうことだったのか、と私の中で合点がいった。確かに、ジャズ人口が増え、文化が浸透するにはただの手段・きっかけだったかもしれない。だが、ジャズが人間を突き動かす原動力として働き、またジャズによって魅了された人々が追い求めるものは、美しい魂の叫びだ。表現することの意味をこれほど実感する音楽はジャズの隣に並ぶものはないだろう。ただ、それが生きることの喜びを表現するものならば、ジャズであろうと歓喜の歌であろうと同じなのである。日本人にとって異様な音楽であったジャズでも、保守的な戦争を経験し自己犠牲の精神を貫いてきた彼らにとってはパンドラの箱であったのかもしれない。そしてもちろん、箱の中は刺激的な最高の贈り物が入っていたのである。
posted by アオノリ at 10:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/181270740

この記事へのトラックバック
past log
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。